1週間

火曜日,部内の新入社員歓迎会の二次会でどうやら呑み過ぎたらしい。後輩の証言によると,常駐の弁護士さんと日本酒をかぱかぱ呑んだ後,号泣しつつダウンしたらしい。西船橋まではどうにか終電で行って,そこからはタクシーに乗って帰った筈なんだけど,二次会に参加した直後からの記憶がすっぽり抜け落ちてる。翌日起きたら,スーツ(含上着)のままでベッドに半身もたれた状態で,当然,午前中は二日酔いでほぼ使い物にならない状態。午後からはある程度復旧したけど,年相応の行動をしないとまずいなぁ…と反省。
金曜日,社外の人も多数出る会議で自分の立ち位置がうまく定まらず,前半はほとんど役割を果たせず。後半はどうにかフォローできたとは思うけど,6年目があたふたしてちゃまずいし,仕事としても最低限のクオリティは維持しないといけない。
土曜日,朝8時に一回目は覚めたものの,疲れが抜けてないのでそのまま昼過ぎまで変な夢を見ながら眠る。午後は洗濯・靴磨きと1週間分の家事をしつつ,同じく1週間分のビデオ録画を見る。そのままでもつまらないので,深夜から寮にいる同期を拉致って山梨は西山温泉へ。運良く天気がいい中,朝から露天風呂で息抜き。温泉の後は,52号を静岡まで下って,「大やきいも」のおでんをたらふく食べてから東名で帰る。
統一地方選について,都県知事選はほぼ予想通り。いろいろと言いたいことはあるけど,Web上に書くことじゃないと思うので,また呑んだ時にでも吐き出すことにする。あえてここで文句を言うとすれば,都知事の「国民の我欲を抑制しないとこの国は再生しない」という発言(MSN産経から)。ご自身が青春を過ごされた第1次・第2次産業メインの時代か,計画経済下ならともかく,今の産業構造で消費を抑制しても何にもならんと思うんだが…もちろん,必要ないのに買い占める行動とかには規制が必要だとは思うけど,それはあくまでも個々対応の世界であって,原則論を変えるべき話じゃない。
あと,前回の統一地方選の時,組合活動で自分が支援していた候補の当落がまだ出ないのが気になる。F1中継見つつしばらく待ってるか。

(24:25追記)
当確出た。前回より票数・順位共に上げたみたい。

今日の1枚

Life

Life

ネガティブなニュースばかりでなかなか気分が晴れない中,木根バラ*1聴いて心を落ち着かせてみたり。で,このアルバムの最後に入っている「こぶし」は,2000年に渡辺美里に提供した曲のセルフカバー。作詞家は違うんだけれども,TMの「Confession」と同じ雰囲気を感じたり(「こぶし」は渡辺美里作詞,「Confession」は小室みつ子*2作詞)。
ちなみに,オリジナルの曲は,ちょうど自分が受験生(現役)の時,河合塾のCMに使われてたんだけれども,河合塾の寮で,CMを気に入っていた他の浪人生にこの曲をコピーしてあげたことが有った様な。

*1:木根尚登作曲によるバラードの総称。TM用語…なのかな。個人的には「Time Passed Me By」が好き。

*2:名義は西門加里だったかな

滑り納め

今シーズンの滑り納めってことで岩岳に行ってきました。もちろん来週以降も営業しているスキー場は有るんだけど,さすがに4月に入るとあまりスキーって雰囲気でもないし,自分としても大好きなスキー場でシーズンを締めくくりたいし。岩岳も元来の日程だと来週までだったんだけど,今回の地震を受けてシーズン終了を1週間繰り上げて,ゴンドラも運休中。まぁ,客の入りを見ればそれも仕方ないとは思うけど。
今日のゲレンデは,昨日まで降ってた雪のおかげで(今日も山頂あたりは粉雪が舞ってたけど),上半分は堅いバーン+粉雪,下半分は南向き斜面がザラメ雪,北向き斜面がちょっと緩めって感じ。いや,3月の末でこれなら全然満足で,来週も営業しないのが残念なくらい。あと,裏側のビューゲレンデが閉まっていたのも残念かな。雰囲気は貼った写真見て察してください。
 
 
結局,今シーズンは岩岳に4回,焼額・白馬47・乗鞍高原石打丸山に1回ずつの計8回滑りに行けたってことで(全部日帰りだけど),仕事が結構忙しかった割にはまぁまぁ頑張ったんじゃないかと。滑りに関してもちょっとずつだけどスムーズにカービング出来る様になってきたし,何より楽しかった。ホットワックスをサボったことが多かったのはちょっと反省かな…。
さて,これからシーズンインまでの半年間は,これからも滑り続けるために筋トレしたり持久力を強化しなくちゃならないし,そろそろ道具も買い換えたいから金も貯めないと。あと,スタッドレスも今度交換だから,その費用も見ておかないと。

3連休末日

実家でもいろいろと心配していた様だし,タイヤも履き替える時期なので3連休は静岡へ。片道分しかガソリンが無かったので,静岡で給油できなかったらどうしようかと思ったけど,車で2時間走るだけで随分状況は違うんだねぇ…清水インターで降りてから,どこのスタンドも開いてたし,24時間営業のスタンドもちらほら。給油量を20リットルに制限してるスタンドが有るって話も聞いたけど,実家近辺のいつも使ってる所ではそんなことも無く。
で,今日の夕方に帰って来たんだけど,何の気も無しにYoutube見てたら,アップロードされてる90年代のCMにはまってしまい,気付いたら1時間が過ぎている。見た記憶が無いのも多いんだけど,こうやって見直すと「こんなん有った!」って思い出すのもあるし,CMは覚えて無くても製品を思い出すのも有る。EAST END×YURIティセラ,坂井真紀のAXIAテープ,広末涼子クレアラシル内田有紀のロートZi:リセ,(女性ばっかなのはどうかと思うが)どれも印象が強い。
で,あの頃はCMソング聴いてCD買うって言うパターンも多かった気がする。特にポカリのCM見てたら,覚えてるだけでもセンチバの「Sunny Day Sunday」,ポルノグラフィティの「ミュージック・アワー」,Pepperland Orangeの「夏の魔法」,DEENの「瞳そらさないで」と色々。
でも,CMソングばっかり買ってたってわけでもない。多分,CMってのが新曲(必ずしも新曲とは限らないけど)を伝えるメディアだったってことだと思う。当時はミュージックステーションCDTVも毎週ビデオ録ってたし,毎月SONGKONG(歌詞・コードが載ってた雑誌,いつの間にか廃刊になってたのね…)も買ってたし,FM番組も色々聴いてたし(時にはエアチェックもしてたし),何か音楽ってのが凄く面白いジャンルだった様に思える。それがたった10年やそこらでなんでこんな状況になっちゃったんだろうね。
あの頃,新譜の発売日には,わくわくしながら新静岡センターのすみやに行っていた。同級生が同じCDを買ってたことも有ったし,1ヶ月先の懐具合を考えながらアルバムの予約カードを書いたりもしてた。あの空間に満ちてたワクワク感って,今の自分には凄く遠いものに思えてしまう。こんな事を延々と書いちゃうってのは,年かなぁ…(認めたくないけど)。

東日本大震災

まだ現在進行中の事象ではあるけど,とりあえず中間の備忘録として。

地震が来る前日,つまり3/10(木)は,定時過ぎに急な案件が入ったせいで,会社を出たのが2時過ぎ。ここ1週間で3回目の終電後タクシー帰宅となるとさすがに疲れて,朝は横浜事業所に直行することに。横浜での会議は何とか終わって,横浜事業所発14:30の社内バスに乗って本社へ。
疲れてたんで首都高に乗ってる間は寝てたんだけど,豊洲のICを降りたあたりで目が覚める。この時は地震だってことに気づいてはいなかったんだけど,何故かららぽーとの周りが人であふれてて,うとうとしながら,のんきにも「何か芸能人でもきてるのかな」とか思ってた。バスが会社について,周りの人がバスを降り出すと,何か妙にバスがふらふら揺れる。経年劣化でサスが駄目になったのかと思ってたら,バスから降りた人が慌ててるのを見て初めて地震だと気づいた。
とりあえず職場から心配するメールが入っていたので,警備室の内線電話から無事に帰社したことを連絡してから,ちょうど1階にいた職場の上司2人(違うグループだけど)と合流して,エレベーターの復旧を待つことに(これが甘い判断だったんだけど)。3人でワンセグを見てると,どうやらえらい事になってるらしいと気づき,しかもエレベーターも復旧の目処は当分立たないらしいってことになって,階段で24階へ。ま,こうして書くと「階段で24階へ」って6文字なんだけど,途中息が上がって何回か小休止しながら職場へ。職場は特段の被害は無かったので安心。
で,今は法務部だけど去年までは総務部の一部隊だったし,席もそのまま隣なので,ちょこちょこと総務部のクライシス対応を手伝うことに。実際は何か仕事が割り振られた時間以外はずっとテレビにかじりつくか,家族に電話をかけようとしてたんだけど。定時後しばらくしたら徒歩帰宅可能者以外は会社に泊まることが早々に決まったので,あとは非常食をかじりながら深夜まで。
椅子を2個使って,三時間くらい仮眠してから朝5時から再度活動開始。ただ,仮眠とは言っても余震の揺れとか緊急地震速報とかでほとんど眠れなかった。朝は駅に走って地下鉄の運行状況を調べたりしてたけど,JRの運転開始に合わせて帰れる社員はみんな帰宅。こっちは武蔵野線が復旧してなかったし,いろいろと手伝うこともあったので結局夕方まで残ってから帰宅。

うちの会社は相馬に工場があるので,そこが一番心配。今聞いてる範囲では従業員の人的被害は無いみたいだけど,家族には(残念だけど)おそらくあるだろうし,対応に当たってるであろう先輩とも連絡が取れないし。今週の月・火と相馬にいたので自分が難を逃れたことは嬉しいんだけれども,そんなことを言ってる場合じゃない。

ポーランド旅行

1月にポーランドに行ってきました。GWとか夏季連休以外でも1回は5日以上の連休を取りなさいって言う会社の制度があるので,それを言い訳にして年始早々に5連休。ま,年始早々であれば新年会ばっかりで仕事もそれほど無いだろうと踏んでの日程設定なんだけど。
で,5連休でヨーロッパってことは日程の余裕は当然無いので,目標をワルシャワ・フィルとアウシュビッツに絞って日程設定。ワルシャワ・フィルはまぁいいとしても(チケットもオンラインで買えたし),ワルシャワからアウシュビッツまで往復するとなると時間的に厳しいので,航空券は東京〜パリ〜ワルシャワクラクフミュンヘン〜東京のオープンジョーと,ワルシャワクラクフの2本立て,宿泊はワルシャワ2泊・クラクフ1泊で手配しました。
去年の冬はチェコ,今年の冬はポーランドと,なんで冬の東欧?ってよく聞かれるんだけど,①寒いのが嫌いじゃない(ってか暑いのが嫌い),②航空券・宿泊が安い,③観光客が少ない,と三拍子揃ってるので,個人的にはベストシーズン。多分今度の冬も行くと思う。

で,1日目はとりあえず全日空の777でパリまで。当日の朝荷造りをしなきゃならなかったのと,成田空港まで1時間で着くって言う心理的余裕からか,ついつい寮を出るのが遅れて空港に着くのが搭乗の1時間前。でも,オンラインチェックインと自動化ゲートのおかげで,ゲートの前には余裕を持って到着。特にこの日は出国審査が混んでたので,自動化ゲートの恩恵を実感。
パリへのフライトは順調。聞きに行く日のワルシャワ・フィルが,ベートーベンの交響曲第8番,プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番,ペルトの交響曲第4番って言う演目だったので,いろいろな指揮者のベト8を聞き比べながら,ちょっと前に買った「ジェット・エンジンの仕組み」を到着までじっくり読む。いや,文系にはちと難しい本なのよ。でも,うちの会社の看板製品だし,法務としては構造を理解しておかないと戦えないし。
パリからはLOT(全日空コードシェア)でワルシャワへ。実はエンブラエルに乗るのはこれが初めてなんだけど,言われているとおり確かに快適。2時間ちょっとのフライトだし,本読んでたらすぐに着陸だったんだけど。
到着後は疲れてたのでタクシーでホテルまで。

ジェット・エンジンの仕組み―工学から見た原理と仕組み (ブルーバックス)

ジェット・エンジンの仕組み―工学から見た原理と仕組み (ブルーバックス)


2日目はワルシャワ市内をぶらぶら。ちょっと朝寝坊してから,トラムでいろいろ回ってみる。去年のチェコと同じで,天気はいつも曇天,足下は灰色に染まった雪って状態だけど,これはこれで嫌いではない。街中を歩いてると,かなりの頻度で見かけるのがケバブの屋台or店舗。とにかく数が多く,これは結構意外。食べてみると,パンを事前にプレスしてあるので,サクサク食べられるし,フォークも付いてくるので立ったまま食べるのも楽。ただ,1個当たりのサイズが大きいから,何個もいっぺんに食べるのは厳しいかな?
午後はワルシャワ蜂起博物館で結構時間を使う。とにかく情報量が多くて館内を一周するだけでもかなりの時間がかかる。正直,自分の中で情報を再構成出来ていないので,機会があれば是非もう一回見に行きたいな。そして,18時からはワルシャワ・フィルを聴きにコンサートホールへ。いや,家を出る前に慌ててジャケットとネクタイをトランクに詰め込んでったんだけど,これが正解。観客は大部分がちゃんとした服装だし,何よりホールの雰囲気に気後れしちゃうところだった。内容については僕が言うまでのこともないとは思うんだけれども,個人的に苦手意識を持っていた現代音楽も案外いいと感じました。まさかペルト本人も聞きに来てて,演奏後にステージに上がるとは。終了後は街中をぶらぶらしたけど,結局美味しそうなレストランはなく,ホテルで夕食。ニシンの酢漬けは美味しかったけど,ビールは今ひとつ。周りがウオッカをぐいぐい飲んでるのを見て僕も3杯ばかり飲んだけど,やっぱりきつくて3杯でストップ。








3日目は朝一で空港へ。ワルシャワクラクフ行のLOTは8:25発の予定だったんだけど,いつになっても搭乗開始にならない。それもそのはずで,空港付近はターミナルから滑走路が見えないくらいの濃霧だし,アナウンスを聞いてると到着地のクラクフもそうらしい。結局2時間遅れで飛んだけど,引き返す可能性もあるって話だったので,まぁ無事に着いただけよしとしよう。機体はこれもまた初めて(国内じゃ飛んでないし)のATR72。
結局クラクフ着が昼過ぎになったので,この日のアウシュビッツはあきらめて市内観光。とりあえず駅で明日の時刻表を確認してから,クラクフでもたくさん屋台があるケバブを食べつつあちこちぶらぶら。この日は霧雨が降ってたので,メインのカメラはあまり使わずにコンデジばっかり。夕食はホテル近くのレストランにて。バーカウンターで飲んだウオッカのリンゴジュース割りが美味しかったけど,何倍も飲んだら危なそうだ…。








4日目は朝6時の列車でオシフィエンチム駅(O〓wi〓cim)に移動。もっとも,「朝早くに出る」と前の晩にフロントに伝えておいたところ,僕が朝早く(3時とか)に出て,かつ鍵を持って行っちゃったのではないかと勘違いしたフロントのおっちゃんが5時頃部屋に入ってくると言うアクシデントも発生。驚いたけれども,ホテルの女主人に平謝りに謝られてかえって困った。ま,女性客とかだったりしたらやっぱり問題になっちゃうんだろうな。
オシフィエンチムへはクラクフから電車で2時間弱。途中うつらうつらしながらも,ひどく揺れる各駅停車(Regionale)の窓際で車窓に夢中になってました。同じ雪景色でも,日本とは違う広大さと,それ故の寂しさ。自分が感じてるイメージをそのまま写真に出来ればいいんだけども,それが簡単には出来ないからこそ写真っておもしろいのかもしれない。
オシフィエンチムの駅から収容所跡まではバスで5分+徒歩15分。濃霧と霧雨の中,ちょっと迷いつつも当てずっぽうで歩いてたら着けました。ただ,こんな冬の日に,開館早々に来る人は僕だけだったようで,ほとんど無人の収容所跡の中を一人で見て回ることに。霧の中一人って言うシチュエーションと,ここが人類の歴史に残る悪夢の舞台であったという事実,そしてそれぞれのバラックの中に淡々と展示される当時の状況も相まって,暖かい服装のはずなのに何故か寒気が止まらなかったり。で,第2アウシュビッツとも呼ばれるビルケナウにも行きたかったんだけど,冬期は連絡バスがほとんど無く,飛行機の都合も有ったので断念。また来る理由として残しておこう…と負け惜しみを心の中でつぶやきつつ,また同じルートでクラクフへ。
ホロコーストについて知るのは,小3の頃に(確か子供向けの単行本で)「アンネの日記」を親に買ってもらったのが最初だと思う。小5でヨーロッパに家族旅行に行った時,アムステルダムの「隠れ家」に行ったけど,「狭かった」って言うことしかあまり覚えて無くて,それよりもその場で売ってた文春文庫の「アンネの日記」を買ってもらって,その後の旅行中読んでた記憶がある。その後,中1の時にはNHKで「映像の世紀」が放送されて,今まで活字で読んでいたことが急にリアリティを持って迫ってきて。中1って言うと95年だから,15年越しで実際に現地を見る事になったって言うのが,自分の中では結構感慨深い。




2時前にクラクフに戻ってきたら,ホテルに預けておいた荷物を回収してから空港へ。今度はルフトハンザ(運航は子会社のCityline)のCRJ900でミュンヘンへ。空港が小さいので,チェックイン・手荷物検査もあっという間に終わって,時間をもてあます。ラウンジに入れれば無線LANも使えるし,軽食もあるんだろうけど…。ミュンヘンで飛行機から降りると,日本語が使える現地職員が待機しててちょっとびっくり。この時期にクラクフミュンヘン〜成田って使う日本人はそういないと思うんだけど…空港がそうわかりにくいって事もないし。で,搭乗までの間にビールとヴァイスブルストを流し込んでから成田行の777へ。機内ではキンドル堀辰雄の「風立ちぬ」と「楡の家・菜穂子」(両方とも青空文庫のデータ)を読了。キンドルって,旅行に持ってくにはえらく便利。充電が切れることはまず無いし,3Gの電波さえあればどこでも本が買えるし,なにより長時間でも眼が疲れないし。
帰国後,トランクのハンドルが壊れる(半分しか収納できなくなる)ってアクシデントと,この後3週間週末無しの状態に陥るってオチがついたけど,ま,それも旅行のいい思い出って事で。

今日の1枚

春愁秋思

春愁秋思

ちょっと遅れたけど,2月16日に発売された空気公団のニューアルバム。「春を愁い秋を思う」ってタイトルの通り,「春だ!」ってアルバムじゃない(ってかそんな作風じゃないし)。でも,この時期の微妙な,100%前向きにはなれない気分が,透明感の中にしっかりと伝わってくる。今のところお気に入りは8曲目の「文字のないページ」かな。