卒業発表+引越前哨戦

 正月明けに内定先から連絡があって、引越については会社負担でヤマト運輸の単身パックを手配するという内容。しかしながら僕の荷物が単身パック一つ(2立方メートル)で足りる訳も無く、なおかつ取りに来るのを一番遅らせても18日だそうで。とりあえず本とかを重点的に詰めつつ、布団とか服とかの最低限の荷物を18日に発送。で、この18日って言うのが卒業発表の日だった訳で。
 前からの日記にも書いてるように、3年の夏学期の試験を殆ど受験出来なかった自分は卒業出来るかどうかが非常に微妙なラインで、17日の晩なんかは徹夜しながら荷造りしててももう緊張で手が着かないような感じで。18日の朝9時、旧教務課前の掲示板を見に行ったら何とか自分の番号がありました。この時、本当に緊張してたみたいで目が泳いでしまって自分の番号が探せない。名字が「よ」から始まるんで、学籍番号(学部別50音順)も最後の方な筈なのに何でか真ん中あたりをずっと探してたりして。ま、最終的には発見して実家に報告の電話を入れたんですが。
 合格発表の時にこうして緊張するのってよく考えてみたら高校の発表以来だと思う。中学入試の時は休み時間に担任が知らせに来たし(掲示はしてないのかな)、現役の前期入試は落ちてるって前提でレタックス見てたし。反対に浪人の前期入試とかAO入試とかは受かっているって言う前提で見れたからあまり緊張しなかったし。なら受かるかどうか微妙だった現役の後期は緊張しなかったのかって言う話になるんですが、なにしろ受験番号が35004(だったかな)なのに一番上の番号が35020だったりしたので、緊張する余地なんて全く無かったのね。
 高校の発表の時は受験番号が81番。えらく横長の掲示板に張り出されるんだけど、一行目の最後が80番だったので一番最初からずっと目で追って行って、行末に来て一瞬LF(Line Feed ニッポン放送じゃないよ)が出来ない訳ですな。一瞬だけ「落ちた」と思ったあの瞬間の絶望は結構鮮烈でした。ちなみに、LFって記述を見て昔のマックとMS−DOS間でのファイル交換を思い出したあなたは多分僕とパソコンに関しては同世代の筈、なんて力説してみたりして。ってか、昔は機種間でフロッピーのフォーマットに互換性が無かったって事を知ってる世代は相当前か?